「アルシンドって、いまどうしてるの?」
そんな疑問を持つ方は多いのではないでしょうか。

1990年代のJリーグ黎明期に、鹿島アントラーズやヴェルディ川崎などで活躍し、日本中を沸かせた元ブラジル人選手・アルシンド(Alcindo Sartori)
当時はサッカーファン以外にもテレビCMなどで話題となり、幅広い層に知られる存在でした。

そんなアルシンドの若い頃の姿と、現在の活動について、改めて振り返ってみます。

アルシンドってどんな選手だったの?

アルシンドの本名はアルシンド・サルトーリ(Alcindo Sartori)
ブラジル・パラナ州出身で、1967年10月21日生まれの元プロサッカー選手です。フォワード(FW)としてプレーし、豊富な運動量と得点力を武器に長年クラブで活躍しました。

来日以前はフラメンゴやグレミオなどブラジルの強豪クラブでプレーし、1987年にはU-20ブラジル代表としてFIFAワールドユース選手権にも出場した経験があります。


若い頃の“Jリーグ史に残る活躍”

1993年、Jリーグ創設直後に鹿島アントラーズに加入したアルシンドは、ジーコとともにチームの攻撃を牽引。
日本人選手と比べても一歩抜きん出たフィジカルとスピードで、ゴール前での決定力を発揮しました。

鹿島では71試合で50得点という素晴らしい記録を残し、その後のヴェルディ川崎でも攻撃の中心としてプレーしています。
また、コンサドーレ札幌でのプレー経験もあり、Jリーグの複数クラブで得点を積み重ねました。


「アタリマエ〜」で一躍有名に

アルシンドはフィールドでの活躍だけでなく、1990年代のテレビCM出演でも大きな話題になりました。
「トモダチナラ、アタリマエ〜」というフレーズは当時の視聴者の記憶に残っている人も多いはずです。

このCM出演もあって、単なるサッカー選手という枠を超えて、一般層への認知度を高めた一因とも言えるでしょう。


アルシンドの引退後の歩み

現役引退後の具体的な年や詳細は公に明確化されていませんが、選手としての活動は1990年代末まで続き、ブラジル帰国後はプロとしてのプレーを終えています。

引退後のアルシンドは、故郷ブラジルに戻り農場経営に取り組んでいると報じられています。
Numberの記事では「ブラジル南部の大農場で悠々自適の生活を送っている」と紹介されています。

広大な土地で農作物の栽培を行いながら、健康的な日々を過ごしているとのことです。


“第二の故郷”日本への思い

インタビューでは、アルシンドが日本のことを「第二の故郷」と感じているという発言もあり、現地での生活が楽しかったことや、Jリーグ時代の思い出を語った内容も見られます。

日本でのプレーを通じて、多くのファンに愛された背景には、単なる技術や身体能力だけでなく、彼の人懐っこい人柄や明るさがあったのかもしれません。


家族とサッカーのつながり

アルシンドの家族についても注目すべき点があります。
長男であるイゴール・サルトーリ(Igor Sartori)もプロサッカー選手として活動しており、2011年には鹿島アントラーズでプレーした経験もあります。

その後は海外を転戦し、現在もプロとして活躍していることが確認されています。
親子でサッカー界を歩んだという点でも、アルシンド家の歴史は興味深いですね。


今どうしてる?公に確認できる現況

現在アルシンドは、Jリーグ時代のように頻繁に日本のメディアに登場しているわけではありませんが、ブラジルに拠点を置きながら充実した生活を送っていることが複数の情報で確認されています。

農場経営や家族との時間を大切にしつつ、サッカー界への直接的な関与は限定的でありながらも、たまに関連イベントなどに姿を見せることもあるようです。

現在は母国ブラジルで大豆やトウモロコシを栽培する大農場を経営!


まとめ|アルシンドは今も“伝説の助っ人”

アルシンドは、Jリーグ黎明期に印象的なプレーで多くのファンを魅了し、CMなどを通じて日本のサッカーファン以外にも名前が知られました。

現在はブラジルで農業に取り組みつつ、穏やかな日々を過ごしているとされ、家族や自身のルーツを大切にする生活を送っています。